最近の日本人、特に若い人たちの中で、パソコンの普及とともに「漢字」についての知識が、大変な減少傾向にあるように思われてなりません。
そこで、2009−10年度、クラブ会長を拝命しました折に、1年間「会長の時間」で「ええかんじ」「ええにっぼん」という題で適当な漢字の言葉を選んで、その字のもっている「良さ」、さらには、日本の「良さ」を表現しようと努力しました。
私が務める極楽寺は、開創文禄元(1592)年で、小生は第38世住職です。また、当寺は川端康成の菩提寺でもあります。
先代の清崎専成住職が残してくれた蔵書がたくさんあり、それらを参考に、皆さんにわかりやすいように心がけて原稿を書きました。
勉強不足で恥ずかしいところもありますが、友人の勧めもあり、会長が終わってこれらの原稿をまとめたものを、小生が住職退任の日に上梓(じょうし)することができました。その中でも、特に皆さまに読んでいただきたいのが「首実検」の一編です。
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戦国の世、武田勝頼が織田徳川の連合軍と戦って、討死した時に、勝頼の首を織田信長の実験に供した。その折、信長は勝頼の首をにらみつけて「なんじ弱輩の身でありながら、天下の強将たるこの織田信長に敵対せし為、この有様となったのじゃ。無礼ものめ」と罵(ののし)りながらこれを足蹴(あしげ)にしたという。さて、その首を徳川家康のところにも持っていった。すると家康は、仏壇に灯明線香を献(ささ)げて待っていた。そしてその首に向かって「敵となり、味方となるのは戦国の慣(なら)い。是非のないことですが、なろうことならば貴殿と手に手を取って、快く軍物語を致したいと存じておりました。武運拙くしてかかる御有様になりました事、この家康にとって慨(なげ)かわしい至りでござる」と、合掌しながら涙を流したという。
これを伝え聞いた勝頼方の軍勢は何と感じたであろうか。
愛らしき言葉は慈愛の心より出る。勝頼の首を足蹴にした信長の無慈悲な心こそ、天下統一の事業半(なかば)にして、光秀の為に斃(たお)された原因ではなかろうか。そしてこのハラハラと涙を流した家康の心こそ、徳川三百年の太平を保った遠因ではなかろうかと思う。
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ロータリーに「奉仕の原点」というものがあるのなら、それは「思いやり」と、先輩ロータリアンから教えていただきました。
しかしながら、この一編が私たちに教えてくれるのは、信長と家康の心のあり方の違いがもたらしたこと、そして家康の 「心づかい」ではないでしょうか。この意のあるところをお汲(く)み取りいただきたいのです。
「思いやり」と「心づかい」には非常に大きな違いがあるように思えてならないのです。(第2660地区 大阪府 仏教)