花壇で鎮魂の山を華やかに
       
 
 事務局、例会場全壊……ロータリーどころじやない

 山田町は東日本大震災で死者・行方不明者771人、被災家屋3,367棟(46.7%)という甚大な被害を受けました。山田RCは、会員15人中14人が被災し、家族や職場の従業員を失った会員もいました。例会場は全壊、事務局も津波後の火事で全焼。資料は「個人がたまたま持っていたものが無事」という状態で、公的なものはすべて失いました。阿部会長の自宅は幸い残りましたが、職場を失いました。震災から約1週間後にようやくついた町役場の仮設電話からガバナー事務所に電話し、休会を申し出ましたが、当時の楢山直樹ガバナーから「支援するから、クラブを続けてください」と要望されました。しかし、事務所も例会場もありません。「ピックリしたのは、通帳のコピーを見たら、残高が6,000いくらだった。『何これ!?』って」
  「とりあえず振り込むから」と、姉妹クラブの東京浅草RC(第2580地区)が約130万円を送ってくれ、ガバナー事務所からも義援金がきて、そこで「これでできるな」と思ったそうです。「あれがなかったら、まさにクラブの存続自体がダメだった。『ああ、これでもう解わりだな』と思いましたもの。ロータリーどころじゃないっていうのが本音でしたから」


山田RC元来のバナー(左)は震災で失ったが、事務局の
女性がたまたま1枚持っていたため再印刷できた。
右は「鎮魂と希望の鐘」がデザインされた限定版

  被災直後は全国から多くの物資が届けられ、助けられながらも、応対に戸惑う場面もあったそうです。「電話が来て『○日に行きます』。で、トラックで乗り付けてきて、『はい、どうぞ』と。それを配るのも大変なんですよ。(ロータリアンを助けるのはロータリー的でない、という考えもありますが)それは確かに一つの原則論だとは思うけど、うちの会員の半分は自宅も職場も失って、まさにロータリアンが被災者なんです。物資を持ってきて『さあ山田RCの皆さん、これを配ってください』と言われても、『こっちは被災者だ』と言いたいけれども、なかなか言えない」
  被災後、最初の例会は、盛岡北RCと合同で炊き出しを行った6月5日。その後もいろいろなクラブの来訪を受け、月1〜2回、不定期に、主に野外で例会を開催。外部のクラブが、山田RCと連携して地域に物資を届けるかたちの支援が続きました。

     
ロータリーの友 2012年7月号より